維新號

子供の頃、両親に連れられよく行った
中華料理のお店の1つに
維新號があります。

さすがに私の記憶にはありませんが、
まだおむつが取れない時期から行っていたそうで、
その時出された子供用のフォーク
私が欲しがり、なかなか放そうとしなかったので、
親がお店の人に「売ってほしい」とお願いすると、小声で
「どうぞそのままそっとお持ち帰りください」
と言ってくれたそうです。

なんだか心がほっこりするような、
そして感謝の気持ちで私も親になってからは、
娘を連れて食事に行くようになりました。
幸いなことに娘はお店のフォークを
欲しがったことはまだありませんが(笑)

維新號の歴史は、
遠く明治32年(1899年)までさかのぼります。
当時まだ20代の創業者となる鄭余生は、
現在の上海より少し南の港町から来日し、
横浜の羅紗専門店で働いていたそうです。

明治32年に、東京・神田地区の
神田今川小路に清国(中国)の留学生を相手に
簡単な郷土料理店を始めたのがはじまりです。

当時の日本には
まだ中国料理を食べられるようなお店もなく、
祖国の味を求め維新號に集まり、
店は大変賑わっていたそうです。

大正中期ごろまでは、
留学生相手の「故郷飯店」を運営してましたが、
時代の流れと共に留学生の数が激減したのを機に
日本人相手の「中華料理店」に変身を遂げました。

この頃の維新號の名物料理は「フカヒレの姿煮」で、
戦争が終わり神田今川小路の店を閉めるまで
料理店維新號は絶頂を迎えました。

終戦後の昭和22年ごろには銀座に店を移し、
“料理店”から“まんじゅう屋”へと、
時代のニーズと共に変化しました。
大ヒットしたこのおまんじゅうは、
今でもたくさんのお客様に愛され続けている
「維新號のおまんじゅう」として
現在に至ります。

維新號の大きな転機は赤坂店のオープンにあります。
赤坂店はオープン当初から高級店として
幅広い客層に愛され、現在でも政財官界のトップの方々や、
駐日中国関連の人達が利用しています。

平成11年に創業100年を迎えた維新號
客層も親から子へ、子から孫へと変化してきました。

看板メニューの1つと言っていいほど
人気な維新號のおまんじゅう
素材の味を生かした5種類のおまんじゅうは、
皮、具、仕上げとも熟練の手を通してしか作りえない丹精なひと品。
北海道産貝柱のだし汁を使ったにくまん、
筍をたっぷり加えピリ辛のラーパオ、
野沢菜の塩漬けに北海道産乾燥貝柱をたっぷり加えた
サイパオ、北海道の小豆を使用した
上品な甘さのあんまん、黒ゴマ、レーズン、
くるみ、オレンジピールを包んだゴマまんになる。

赤坂維新號には、個室も多数用意されていて
最大で約30名OKなものもある。
他にも小宴会場、大宴会場も完備しているので
記念日などのお祝いや、会社の宴会などにも最適。

まずは気軽に利用してみたいという方は
ランチタイムに是非行かれてみてください。
リーズナブルな価格で一流の味が満足できます。

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